第14回「沖雅也研究会」

2022年5月15日(日)、今回も映画監督であり脚本家の柏原寛司氏のご協力により、
人形町「Base KOM」にて「第14回沖雅也研究会」が開催されました。
今回もミルキーさんにポスターを作っていただきました~♪
「太陽にほえろ!」テキサスとスコッチの交代時です。

ゲストは皆さん待望の勝野洋さんをお迎えして、柏原監督との夢の対談です。
←勝野さん、ダンディーですね





今回の参加者は30名。
本来は1月に開催予定でしたが、コロナの感染拡大を受けて延期となっていました。

延期しても誰一人もキャンセルなし!

あらためて、参加いただいた皆様に感謝しますとともに、キャンセル待ちをされたのにお受け出来なかった皆様にお詫び申し上げるとともに、そんな参加出来なかった皆さまのためにも、ここに貴重な内容を報告させていただきます。

沖さんとは「姿三四郎」「俺たちは天使だ!」「俺たちの明日」「寛永御前試合」で共演されている勝野洋さん。
そして、いずれの作品も柏原寛司監督が脚本を書いていらっしゃるというご縁の深いWひろしの(笑)トークとなり、告知をしてからあっという間に満席となる人気ぶりでした。

本来なら、このような小さな会に来ていただくようなゲストではありませんが、それも勝野さんの沖さんへの友情の証、男気なのだと終了後には確信しました。こんなに素敵なご友人が沖さんにいて下さったことが分かり、胸が熱くなります。
kiyouさんが額に入れた素敵なお写真を提供して下さいました♪

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当初は1月22日の予定でしたが、コロナ蔓延のため延期となり、この日は満を持しての開催です。

朝から管理人は会場を除菌して感染対策もバッチリです。

トーク中も念のためマスクをつけたまま。終了後のオフ会もなしというのは残念でなりませんが、それでも皆さんの表情は弾んで見えます。

まず皆さんには「太陽にほえろ!10周年ファン感謝の集い」のジェスチャー大会から、勝野さんと沖さんの部分だけ観ていただきました。

実は管理人、勝野さんがお通夜にいらした時にマイクを向けられてたった一言「これが彼の生き方ですから」とおっしゃったことで、突き放されたように勝手に思っていたのです。考えてみればお通夜にいらして下さっているのですから、そんなワケないのです。

このジェスチャー大会の映像の中に、勝野さんがジェスチャーの後でまっすぐ沖さんに向かって歩いて行き、なぜジェスチャーが上手く行かなかったかを沖さんに話していらしているのをみつけました。

ほんの短い時間ですが、勝野さんがこれだけメンバーが揃っている中で端に座っている沖さんに向かって行ったことで、やはりお二人は気持ちが通じていたのだとこれまた勝手に思い、胸をなでおろしたという経緯があったので、皆様にも勝野さんのお話を聞く前にこれを観ていただきたく、あえて流させていただきました。

この10周年ファン感謝の集いの沖さんは明らかに体調が悪そうだったので、ますます勝野さんが沖さんにフランクに話しかけて下さっていることが嬉しかったということもあります。

そして本題、「姿三四郎」第17話『死闘・峰の薬師』を観ていただきました。

もちろん柏原氏の脚本。
兄の檜垣源之助と弟の鉄心の二役を演じる沖さんが同時に映っている一粒で二度おいしい画面もさることながら、弟・鉄心と三四郎の対決後、三四郎が鉄心を担いで急坂を登るシーンなど、見どころ満載です。

 

上映が終わり勝野さんをご紹介しようとして皆様の顔を見ると、「いいから早くして!」という圧が(笑)。

待ちきれない、そうです、当然ですよね。

勝野洋さんと柏原寛司監督のご登場です!

前半は柏原監督と勝野さんが「太陽にほえろ!」加入のいきさつや「姿三四郎」の撮影のエピソードについて話して下さいました。

柏原「僕が一番初めに勝野さんとお仕事をしたのは『太陽にほえろ!』が初めてで。テキサスの時が太陽のデビューなんです。(第213話)『正当防衛』っていう話で」

勝野「あ、覚えてないですね(笑)」

柏原「ゴリさんが遠くへ行くという話なのでテキサスの話ではないんですが、その前に萩原(健一)さんと(松田)優作の時は書いてなくて。
『傷だらけの天使』は書いてたんですけど、太陽は書いてなかったんですよ。
太陽を書き始めたのはテキサスが登場してからなんです。
だからデビューが一緒っていうか岡田(晋吉)さんに育てられた二人なんです」

同じ時代を共に駈け抜けていらした同士でもありました。

勝野「同じ年代ですよね」

柏原「同じですよ。(昭和)24年」

勝野「あ、24年ですか。丑ですか。当たり前ですね(笑)」

柏原「牛はいい加減ですから(笑)。
ちょうどあの頃、(松田)優作氏も(昭和)24年生まれで、萩原(健一)さんも25年で、あのへん皆固まってるんですよ。だから岡田さんがそのへんを上手く活用したっていうか」

沖さんは昭和27年生まれ。少しだけ弟のはずですが、生き急ぐ人はなぜか老成していました。

柏原「だからその後、『俺たちの朝』とか『姿三四郎』とか勝野さんのものを色々やったんですけど、太陽の時はどうだったんですか。

一番初め萩原氏がいて、次は優作氏がいて、二人ともアウトロー系じゃないですか。

で、今度勝野さんが来て、タフだけれど、どっちかと言うと高校球児が卒業してパッと来たみたいな感じで」

勝野「高校球児じゃないですけどね(笑)」

柏原「まあ、そういう純粋な感じでね。前の二人は意識したんですか」

勝野「いや、全然しないです。というのは、自分がそこでデビューするとは考えていなかったので。

ショーケンが殺されるシーンなんか『あ~、いいドラマだなあ』と思ったのは覚えてますが、自分がまさかそこに行くとは思っていなくて。

元々頭が短かったので、決まった時はこれでいいのかなあとは思いましたけど、どうも岡田さんの狙いはそこだったみたいですね」

柏原「多分前の二人とは全く違うキャラを欲しいと思ったんでしょうね。岡田さんは勝野さんのキャラが好きだったんだと思います」

勝野「そうですか。ありがとうございます(笑)」

柏原「沖さんなんかはやっていてどうでしたか。何となくクールで人の輪に入らないようなみたいなところがあるじゃないですか」

勝野「どっちかといえば僕もそうでしたね。人と話すのが苦手で。そういうところでは合いましたね。

僕が沖さんと一緒になるのは(太陽より)もっと後でしたが、お互い撮影現場では余計なことはしゃべらなかったですね」

司会「それでも通じる感じでしたか」

勝野「そうですね。そういうことですね」

司会「『スター千一夜』に沖さんと一緒にお出になったことは覚えていらっしゃらないとのことでしたが」

勝野「ありましたよね、そんな番組。昔は大変な番組でしたよね」

司会「ですから、テキサスが殉職することが大変なニュースだったんです」

柏原「視聴率が凄かったし」

司会「『太陽にほえろ!』の最高視聴率はテキサスの殉職回ですよね」

勝野「そうみたいですけど…殉職する時、死ぬ時ってこういう感覚かな、と感じましたよね。あらゆる角度から。撃たれたらこうかなとかね。

まだ若いから死にたくないとは思いましたけどね、あの頃は(笑)」

柏原「あの弁慶みたいに何発も撃たれるのは監督がああいう風にって?」

勝野「あれは自然にああなりましたね。自分の頭には弁慶はありましたね」

柏原「やっぱりね。観た感じ弁慶のイメージですよね」

司会「仁王立ちで」

勝野「そう、仁王立ちで後ろに飛ばないでね」

柏原「あれ、カッコ良かったですね」

勝野「僕はあの時ちょっと心がけたのは、撃たれた後ハイスピード(注1)になるのですが、その時にちょっと笑顔を作ろうかと思ったんです。

要するにもうダメってわかるじゃないですか。皆が来たその時に笑顔。一瞬。皆にありがとうっていう笑顔」

司会「それは勝野さんの狙いで」

勝野「狙いというより自然に。打ち合わせなしで」

柏原「前の二人がみっともないような死に方だったので、テキサスの死に方って逆に印象に残りましたよね」

勝野「打ち合わせでは違ったんですよ。

僕はすぐ消してくれ、倒れて尾を引かないでって言い、監督はオッケー分かった分かったと言ってたのに、実際は全然違ったんですよ(笑)。

でも、あれは岡田プロデューサーの愛情だって後で聞いたんです」

司会「それはすごい愛情ですね。見せ場をっていうことですね」

勝野「太陽もいいんですが、沖さんの話を(笑)」

司会「それは後から伺おうと思っていたのですが、太陽の頃はすごい人気だったのに、ご自分の中で『違う』と思っていらしたとのことですが」

勝野「自分の目標は役者じゃなかったんで。実は違ったんですよ。外交官になりたくて。青学に入って語学を勉強して。

というのは、祖父が外交官だったので。

それで一生懸命やるんですけど、時代の流れがあって。43から45年の学生運動があって、青学の寮にいたんですが、そこも入られて。

それがかなり色々なことに影響しましたね。それがあったのでバイトをやって役者の方向に行ったんです。劇団に入って。

でも、太陽が決まった時は申し訳ないけどお断りしたんですよね。

これは僕の人生設計と違ったし、僕は熊本出身で熊本訛りもあると言ったんですが、いいんだ、いいんだって劇団の人が言うんですよ。

でも良くないんですよ(笑)。芝居出来ないんですよ。

訛りがあるって言ったじゃないですかって言ったんですが、いいんだ、NHKの辞書持ってけよって。そういう問題じゃないんですよ(笑)。

辞書見ても読み方のアクセントが分からないんですね。そういう段階から始まったんです。

裕次郎さんに会うだけ行こうよと言われて『会えるんですか?わ~、嬉しい。ホントですか?』って会いに行ったら

『三代目刑事に決まりました勝野です』って紹介されて(笑)。

『ああ、よろしくな』って言われて、うわ~、嬉しかったけどどうしようって思って(笑)」

司会「もう、断れないと」

勝野「断れない(笑)。それでNGを沢山出しながら皆さんに迷惑かけたわけです」

司会「それで竜雷太さんが指導係に」

勝野「そう、竜さんが『テキ、こっち来い!』って言って『ハイって言ってみろ!』って竜さんいつもそれを僕に言うんですけど。

『ハイって言ってみろ!』『ハイ!』『それでいいんだよ』って言われるんですが、

裕次郎さんの前に出てヨーイスタート!『テキサス!』……言えないんですよね(笑)。

どうしたんだって言われても、違うんですよねあの方のオーラって。

そういうところから始まったんで、自分としては一年で卒業出来ると思ったんですが二年になり、不出来だったから尚更皆さん愛情があるんじゃないかなと思いますね」

司会「でも、とんでもない人気でしたよね」

勝野「だから、あとは戸惑うしかないですよね」

司会「一日で人生が変わったような感じですか」

勝野「皆さんの対応が全部変わるんですよね。画面であれだけ出てれば目立っちゃうんです」

司会「道も歩けないような?」

勝野「そうですね。それは困りましたね。どうやって辞めようかなってことを考えましたね」

司会「出たい方がいくらでもいる中で?」

勝野「そうなんですよ。そういうところから始まったんで。ただ、父親の教育が『やり始めたことは最後までやれ』というものだったので、最後までやろうと思って2年間やったんです」

司会「でも、その後は『俺たちの朝』が(笑)」

勝野「そうなんですよ。(太陽が)終わってサンフランシスコに友達と旅行に行って、そこからメキシコに行く予定だったんですけど、途中で電報が来て『すぐ帰れ』と」

柏原「電報だもんね(笑)」

勝野「そうなんですよ。何だろうなと思って帰ってみたら、『俺たちの朝』が一か月後に始まるから準備しろって。

それで抜けられなくなっちゃったんですよね」

司会「もうその次に『姿三四郎』が入って」

柏原「『俺たちの朝』もそうでしたが、三四郎はピッタリだったよね」

司会「脚本家の方はプロデューサーから何か言われるんですか」

柏原「まず勝野さんを活かすような形でということで考えて、その設定で」

司会「ということは、最初から勝野さんのキャラクターを生かして下さいということだったんですか」

柏原「魅力を生かすということで、以前の姿三四郎とは関係なく」

司会「他にも『太陽にほえろ!』のメンバーが沢山出ていらっしゃいますが、それもキャラクターを崩さないようにということはないんですか」

柏原「というかね、映画で言うと僕はジョン・フォードが好きなんだけど、ジョン・フォード一家になっていて主役はジョン・ウェインがやって、ワード・ボンドは次はこの役をやるとかそういうか、そういう感じなんです。

(太陽は)岡田さんがチームのリーダーで、主役は勝野さん。竜さんは前は刑事だけど三四郎では大陸浪人。そういう振り分けの形。

ファンは『今度この人は何をやるんだろう』という感覚で観ているから。

黒澤明もそうで、主役は三船敏郎さんがいて、志村喬さんがいて、藤原鎌足さんがいて…っていうそういう配置にするわけ。

おなじみさんというか、そういう役者さんたちで作品のカラーが出来るから、そういう意味では皆、今度はこうしましょうああしましょうという楽しい役作りのキャラクターが出来て来るわけ。

だから、ほぼお馴染みのメンバーでやってるから」

勝野「だからやりやすかったですよね。そういう意味では」

司会「竜さんがついていてくれるっていう感じで」

勝野「そうですよね」

司会「あと、露口茂さんがいらして」

勝野「露口さんも渋かったですよね、あの方もね」

司会「露口さんからは指導は入らなかったんですか。『ハイじゃない!』とか」

勝野「いや、露口さんは何も言わないですよね」

司会「じゃあNGが出た場合も」

勝野「こうやって(露口さんの手と斜め見のポーズ)(笑)」

勝野「あと長さんが『テキ、違うぞそれ』って。アクセントが違うぞって。

あの方は大分で僕は熊本で同じ九州だから。それを言われるたびにリズムが変わるんですよね。

だから今でもアクセントに注意しながら。例えば田舎の後輩から電話がかかって来ると熊本弁で話しているわけですから、すぐ戻っちゃうわけです。電話を切った後は熊本弁になっているんです。それでまたリズムをやり直して」

司会「姿三四郎は会津の出身ですが」

勝野「僕の親友が会津なんですよ。剣道部で東北チャンピオンの。だから会津弁は大丈夫ですね。だいじょぶだぁ、だっぺや (←たぶん会津弁)。いろいろ訊いて下さい(笑)」

司会「『太陽にほえろ!』のことをうかがいたい方がいっぱいいらっしゃると思うんですが、一応竜さんが指導係ということで」

勝野「はい、お世話になりました」

司会「ボスは?」

勝野「ボスは文句ひとつ言わないですね」

司会「NGが出ても?」

勝野「何も言わないです。一回、バスに連れて行かれて。ボスのバスに。

座れって言われて冷蔵庫を開けてビールくれたんですよね(笑)。ボスは飲むから。

『飲め』って言われても新人だし…『いいから飲め』って言われて

『いいんですか』『ボスがいいって言うんだからいいんだろう』って(笑)。

ボスが飲んでいるんだから誰も文句言わないですよね。

それからずいぶん飲むようになって(笑)。

要するに現場に迷惑をかけなければいいわけですから」

司会「ボスが言えば誰も文句は言えない、と」

勝野「文句は言はないです(笑)」

司会「その後後輩でボンが入って、やはり先輩っぽくなるんですか」

勝野「先輩っぽくっていうか、先輩ですよね(笑)」

司会「先輩らしい演技といいますか」

勝野「僕は劇団にいましたけど演劇論というのは好きじゃないんです。

僕は芥川比呂志さんに教わったので、あの方の眼が怖くて怖くて(笑)。いつも逃げ回っていたんです。

『何で来ないんだ』『いえ、ちょっと…』って嘘ばっかり言って逃げて。

あの方を見て眼の芝居って大事だなって思いました。人間にはこういう眼をする人がいるんだと思って。それは学んだことですね」

司会「『姿三四郎』を観ていると目が怖い時がありますよね。殺気が」

勝野「たぶん、勝負事になるとそうなるんだと思います」

司会「武道の心得のある方は相手がいると殺気立つというか、そういう眼なんですね」

勝野「そうだと思いますね」

柏原「試合でニコニコして優しい顔してたら怖いよね、狂った奴に見えて、それはそれで怖い(笑)」

司会「『姿三四郎』第17話の撮影後、この日に記者会見をされたということですが」

勝野「はい、帰って婚約発表したんです」

司会「こんなハードな撮影の後で?!」

勝野「そう、国際放映に帰って婚約発表したんです。結婚して43年なので、この撮影からも43年だなあと。

取材に来た方はどっきりカメラじゃないかって思ったみたいです。俺とうちの女房が合わないって(笑)」

司会「そんな失礼なことを?(笑)」

勝野「全然結びつかないっていうんですよ」

柏原「勝野さんは和モノですもんね。奥様は外国人タイプで」

勝野「そうでしょうね、傍から見ると」

司会「最近も放送されていたクルーズの番組(注1)をご覧になられた方もいらっしゃると思うのですが、急に人気が出て自分の道と違うぞ違うぞと思っている時に出逢った方だとおっしゃっていたので、やはり『姿三四郎』の頃は迷っていらした時期なんですか」

勝野「そうですね。やっぱりあの頃は28~9歳までの間、自分の目標を定めなきゃいけない時期だったので、このまま役者を続けるのか、それとも違う仕事に変わるのか…」

司会「えっ?まだ違う仕事のことを考えていらしたんですか?(笑)」

勝野「そういうことはチラっとありましたね。まだ自分に向いているとは思えなかったんで」

司会「三四郎の時点でまだ?」

勝野「まだ完璧に役者だとは思えなかったですね」

司会「そういう話は沖さんとは」

勝野「役者同士は話さないですね。絶対話さない。

ある程度自分の世界を皆さん持っていらっしゃいますから、そこは外には出さないです。

プライベートも普通は出さないです。だから親友といっても、役者同士は自分の世界を守らなくちゃいけないから」

司会「草刈正雄さんと仲が良いとうかがいました」

勝野「仲いいですけど、あいつもそうですね。飲むとぶつかるんですよね。

同じ九州なんですよ。なんかダメですよ、人間として話さないとね。

飲むと役者と人間がごっちゃになっちゃって。そこがいいんですけどね、人間らしくて」

司会「普通の人にはちょっと分からない世界です」

勝野「分からないですよね。でも、けっこう難しそうで単純ですよ(笑)」

司会「(おそるおそる)露口茂さんがどんな方だったか、皆さん知りたいと思いますが…」

勝野「露口さんはけっこう自分に厳しい方じゃなかったかな。芝居に対してものすごい厳しい方です。

露口さんももちろん外に出さないです。皆さんそうなんでしょうね。

本当を言えば家族も出さないで、自分だけが出ているのが理想形でしょうね。

今はもうSNSなんかで出ちゃっていますけど、だから尚更、今の人たち、役者だけじゃなくてタレントさんも歌い手さんも皆大変な時期じゃないかな。SNSとか利用出来て上手く乗っている人はいいけれども、その反面もありますからね。

いいことばかりじゃないですから。僕自身は地道にやって行こうかなと思いますよね」

司会「書き手としては、勝野さんの魅力を最大限に引き出すとおっしゃっていましたが、どういうところが一番魅力ですか」

柏原「昔の武士みたいなイメージがあるから、それを出せば面白くなるわけで。

もし現代劇でやる場合はその武士的なところがアナクロになるわけだから、そのアナクロが面白くてチャーミングで、観ている人が笑えて、親しみを持てるようになればいいわけです。

『姿三四郎』なんか正にそのままですよ。だから勝野さんは描きやすい」

勝野「武士(笑)。嬉しいな。僕なんか基本的にはいつもニュートラルにしてと思ってますけどね。

ニュートラルに戻して絵を描いてもらうというか」

司会「どんな役でも出来るようにと」

柏原「つかみどころがない人が一番困るんですよ、役者さんで。そういう人はスターになりにくいんですよ。

脇の人はいくらでもカメレオンやってもらっていいんで。

だから仲いいんだけど石橋蓮司さんなんかカメレオンみたいに次々色んなことやるじゃない。

石橋蓮司さんはキャスティングでポッとおいておくと好き勝手やるから。

でも主役のスターさんっていうのはまた違うんで。

独特のものがひとつあって、それに味付けで今回はこうしよう、ああしようっていうのがある。

だから勝野さんはそれがあるから、スターでいられるし書きやすい。

萩原さんもああいうキャラがあるから、それが真面目なことをやったりすると面白くなる。色々なことが出来る。

舘さんだったらああいうキザな感じでダンディズム。

勝野さんは古武士だと思っているから、それをベースにしてやればいいと思ってる」

司会「そういうのは皆さんにもうインプットされているんじゃないかと思うんですよね。

この前『相棒』をご覧になった方もいらっしゃいますか。あれを観ていても『いや、犯人のはずはない』って(笑)。

悪い人のはずはないって思っちゃうんですよね」

勝野「本当は悪い奴です(笑)。本当に悪い奴ですよ~」

司会「あまり悪役ってされたことはないですよね」

勝野「ほとんどないですよね。悪役っていうのは難しいですよね。難しいけどやりたいですよ。

たとえば自分の欲のために人を撃ったり殺したりって、そんなことやったことないじゃないですか。

だから、どんな感じかやってみたいというのはありますよ。色々なものを経験してみたい、演じてみたいと」

司会「そういう意味でテキサスが重くなってしまうことはないですか」

勝野「そればないです。僕はもう過去のことは全然振り返らないです。前しか見てないです。(カッコいい…という声が客席からする)。

でも、過去がこうやって追っかけて来るんですね(笑)。

太陽も何十回も再放送しているから。子供たちも僕が死ぬのを観て泣いたという話があって。

やっぱり亡くなった役をやった人は子供たちが泣きますよね。家族にとっては変な職業ですよね」

司会「お孫さんもテキサスが死んだところを観たら泣いちゃうかも知れませんね」

勝野「そうですね。うちの孫は今5歳ですけど時代劇が好きで」

司会「あんな洋風なお顔立ちで(笑)」

勝野「時代劇出ると『見せて』って。僕のことはじいじって呼ばないで『ヒロシ』って呼ぶんです(笑)。

そう呼ばせているんです。じいじって呼ぶと僕らの世代の人が皆振り向くじゃないですか、街歩いていても。

だから幼稚園に迎えに行っても『ヒロシが来た~』って(笑)。そうするとよその子も『ヒロシだ!』って(笑)。

先生が『おじいちゃんが来たわよ』って言うと『ヒロシ、先生がおじいちゃんって言ったよ』って言いつけに来るんですよ。

まあ、それでひとつの会話が成り立つんで(笑)」

司会「さきほどちらっとおっしゃっていましたが、太陽の時は『テキ』と呼ばれていらしたんですか?」

勝野「テキですね。竜さんが」

司会「やはり役柄で呼び合うんですか」

勝野「僕はゴリさんとは言わないです。竜さんです(笑)。

本当に振り返ると、いい方たちにいっぱい会わせていただいたなという気持ちがあります。

スタッフ、監督、俳優さんたちもそうですけど、本当にすごい方々に…裕次郎さんもそうですし三船さんも。

いい方たちにお世話になったなと思います」

柏原「一時は三船プロにいらしたんですよね」

勝野「はい、三船プロに。沢山の方たちに会って、本当に幸せだなと思いますね」

司会「役者を目指してもモノにならない方がそれこそ沢山いらっしゃる中で、目指していないのにここまでどんどん上がっていらしたというのは、やっぱり運命なのかなと思いますけど」

勝野「本当に目指していた方には失礼だとは思いますけど、人との出会いによって、全部その方向に持って行かれたというか。

出会った人に劇団受けろって言われて『いや、僕は受けません』と言ったら、そこで終わったんじゃないですか。

その人のメンツがあるんで受けるだけ受けたら通っちゃったんです。

通ったから太陽が決まった。そういう流れ、人の気持ちをひとつずつ汲んで行ったらこっちに来ちゃったんです」

司会「やはり運命だったんですね」

勝野「そういうのを運命って言うんですかね」

司会「多分そうだと思います(笑)。今日観ていただいた『死闘・峰の薬師』なんですが、内容はともかくどれだけ撮影が大変だったか観て下さいとと皆さんに言ったんですけど、わらじで大変でしたね。

沖さんは地下足袋みたいなものを履いていらしたからまだ足場がいいんですよ。

でも、あんな石がゴロゴロしているところでわらじで闘って。」

勝野「痛かったですね~(笑)。昔の人はすごいですね。大変ですよ、あれ。」

司会「あれで闘うシーンを撮らなくてはいけないんですよね。それでその後沖さんを肩から担いで、急な坂を上がって、よく上がっていらしたなと思って」

勝野「上がってましたね。重かったですね。やっぱりあれは若かったんでしょうね。馬力があったんでしょう、あれが出来たってことは」

司会「出来ませんということはないんですね、雰囲気としては」

柏原「あれ、山本(迪生)さんが監督で。あの監督のいやらしさっていうのは、あのままやらせてね、もしあそこで落とせばその前でカットかけようと思ってるんですよ。そこで編集で終わらせればいいと」

勝野「俺、上がっちゃった」

柏原「上がっちゃったから、そのままずっと撮ってるわけ。カットかけないでね(笑)。

たぶん助監督なんかが、監督あそこキツイから止めた方がいいですよとか言っても、いやいややらせといて、落としたらそこでカットかければいいじゃないかって言ってたんですよ、きっと」

司会「沖さん、下へ落ちちゃうじゃないですか!(笑)」

柏原「そうしたら上まで上がっちゃったから、最後まで使っているんじゃないですか」

勝野「山本監督は(他の撮影で)カレーライスを食べるシーンがあったんですよ。山盛り。『監督、これから昼飯なんだけど、これ食べちゃうと食えないし…昼飯楽しみなんです、ちゃんと食べたいんで、ちょっと食べたらカットして下さいね』『分かった分かった、そうするよ』って言っても、スタートかかって食べ始めてもカットかからないんですよ(笑)。結局全部食べちゃった」

柏原「だからやっぱりあのシーンは落とすまでやらせたんだよ」

司会「だって、わらじであんな急な崖を。おんぶでも大変なのに肩に乗せていらして」

勝野「あれは見事でしたね(笑)」

柏原「あの後、向かい側からカット変えて撮ってるからあそこで一息あるけど、でも最後のところはキツそうでしたよね」

司会「しかも、さんざん闘った後ですよね。またあれがスタントじゃなくて、お二人で本当に死闘を繰り広げていましたよね」

勝野「沖ちゃん、上手かったですね。技にキレがある」

柏原「沖さん、そうですよ。銃の撃ち方も上手いですしね」

司会「あれは本当の柔道の技をかけるのと、テレビで見せ場を作るのは別なんですか?」

勝野「また別ですね、殺陣っていうのは。だから殺陣師がいて。もちろん基礎は必要ですけど、それは出来てるんで」

司会「あれは現場で殺陣をつけるんですか」

勝野「全部現場です。そんな時間かからないですよ。みんな覚えるの早いから」

司会「確かに(殺陣師の)林邦史朗さんがこの会に来ていただいた時に、勝野さんと沖さんは問題なかったとおっしゃっていました」

勝野「剣の殺陣もそうですね。東映太秦なんかで何十人とやる時でも、大体2回ぐらい(の指導)で入ります」

司会「すぐ頭に入るんですか」

勝野「頭というより体に入る」

司会「それは時代劇に慣れた方でないと」

勝野「そうですね。もう動きが沁み込んでいるというか。急に若い人に言っても無理です。全部手斬りになると思います」

司会「てぎり?」

勝野「腰が入ってないで手だけで斬るということ。腰を入れて足を引かないで手だけで斬ると自分の足を斬っちゃうんですよ。本身を持っても動けるような動きが出来ないと」

司会「受け身が出来る方が相手の時はいいですけど、そうではない方が相手だった場合は」

勝野「下にマット敷きます。そこはカットして、上だけ撮って」

司会「『姿三四郎』では北村和夫さんとか年配の方と闘うシーンがありましたよね」

勝野「ちょっとのところは吹き替えだったりしましたよね」

司会「でないと、死闘ですから…」

柏原「死んじゃうんだもんね(笑)。ちょっとくだらないこと聞くけど、沖さんを背負って上がって行くじゃないですか。あの時カメラは離れているから、沖さんが『いい加減カットかけりゃいいのにな』とか話しかけて来ないんですか」

勝野「こっそり『大丈夫?』とか『もういいだろう』とか(笑)」

柏原「やっぱり見えないところでそう言うんだ(笑)。ワイヤレスつけてないで声入らないから」

司会「沖さんも落とされたら大変だと思っていらしたでしょうし(笑)。この前の右京が原の決闘の時も、ススキの中で横にさーっと並んで走って行くシーンがありましたよね」

勝野「あれは仙石原かな」

司会「あれも足場が大変だったと思うんですけれども」

勝野「一応、どけてますけど。じゃないと足くじいちゃうんで。くじいたらアウトですから」

司会「寒かったという話ですが」

勝野「寒かったですね。風があるし。でも、風がある方がいい画が撮れるから」

司会「炊き出しをして竹下(景子)さんなんかもご一緒に食べている写真があるんですが」

勝野「そういうことがありましたね(笑)」

柏原「この『姿三四郎』はキャスティングがいいですよね」

勝野「石橋正次さんも良かったですね。沖さんとのコンビが良かったですね」

司会「今日皆さんに観ていただいた沖さんは、悪い方の沖さんだったんですけど(笑)、二役で。豪華だったんですよね。柴田恭兵さんも出ていて。

柏原「竹下さんもいいしね、可憐で。竹下さんも二役で」

司会「竹下さんからメッセージをうかがっていて、今日勝野さんがいらっしゃるなら是非『蝉しぐれ』のお話も、とのことでした。そういう再会というのは照れてしまうものでしょうか。竹下さんも昔は三船プロだったんですよね」

勝野「それでも仕事はあまり一緒の現場はなかったですけど。『蝉しぐれ』は作品自体は素晴らしい作品でした。あれは…あの…夫婦になれて嬉しかったです…としか言いようがないですよ(笑)。」

司会「『姿三四郎』の頃は皆さんお忙しくて、あまりお話しする時間もなかったでしょうか」

勝野「竹下さんも忙しかったから、あまりゆっくり話をする時間もなかったですね」

司会「あの頃は竜さんも三船プロでしたよね」

勝野「竜さんとはよく飲みに行ってましたね」

司会「すごい飲み会になりそうですね」

勝野「いや、少しずつ飲む…(笑) 少しずつ飲んで決して暴れない、六本木を走ったりしない(爆笑)」

柏原「全部裏返し(笑)」

司会「ファンの方が追いかけて来ると竜さんが追い払って下さったとか」

勝野「『テキ、つけられてるな』と言って。女の子たちがついて来ていて。そうするといきなり振り返って『ワーッ!』と脅かして(笑)。

キャーッと逃げて…そういうこともありました。俺じゃなくて竜さんが(笑)。

『そういう場合はこうするのですか?』と訊いていました(笑)」

司会「さすがにテキサスはそれはしちゃいけなかったんですね」

勝野「僕は出来なかったですね。女性には出来なかったです。女の子は守るもので脅すものではない(笑)」

司会「撮影所の前にはファンの方が結構いらしていたんですか」

勝野「なんか、沢山いらっしゃいましたね」

司会「それは車で入っちゃうから『じゃあね~』みたいな感じだったんですか」

勝野「でも食事に出る時なんかはそこを通るんで」

司会「そういう時にプレゼントをもらったりとか」

勝野「はい」

柏原「国際放映は門の前に二軒喫茶店があるんで、張りやすいんだよ(笑)」

勝野「あと、横に中華屋さんがありましたね」 ←長谷直美さんによると沖さんが好きだったお店だそうです

柏原「だから、張り込みしやすいんだよ、おっかけにとっては(笑)」

勝野「(柏原監督に)その横にスナックありましたよね(笑)」

柏原「あったあった(笑)」

司会「国際放映は庭みたいな感じでしょうか」

勝野「でも、今はもう変わっちゃいましたね」

柏原「昔の汚さが懐かしいですね」

司会「沖さんのことは沖ちゃんと呼んでいらしたんですか」

勝野「はい」

司会「勝野さんのことは沖さんは何と?」

勝野「〝かっちゃん“ですね(笑)」

司会「ふだんは皆さんからどう呼ばれていらっしゃるんですか」

勝野「テキ」

司会「いまだに?」

勝野「竜さんは今もテキですね」

司会「そんなものなんですね」

勝野「敵対のテキじゃなく、素敵のテキです(笑)」

司会「じゃあ、沖さんと食事をされたことなんかは」

勝野「ないですね。沖さんは結構、終わったらさっさと帰ってましたね。

やっぱり体を鍛えたいとか、そっちのことをやってたんじゃないですかね」

司会「お酒も辞められたみたいでしたし」

柏原「あ、そうなんだ」

司会「じゃあ個人的にはあまりお話しされたことは」

勝野「そうですね。なかなか役者同士というのは…ましてや新人だったんで、新人はあまり話さないですね。僕らの頃はね」

柏原「向こうから話しかけて…」

勝野「来られたら話すけど、自分からああでしたこうでした、あの芝居がどうでしたっていうのは行かないですね、絶対。恐れ多くて」

司会「沖さんでも先輩な感じですか」

勝野「はい、沖さんは芸能界長いんじゃないですか」

司会「年齢は下ですが長いですね」

勝野「ただもう、顔見るとお互いニコニコして」 (か、かわいい…)

司会「さっき(太陽10周年番組の)ジェスチャーゲームを皆さんに観ていただいたんですが、あの時出来なかった理由を真っ直ぐ沖さんに向かって説明に行っていらしたんで、そうか、交遊があったんだなと思って観ていたんですが」

勝野「あれ、〝銀座“ってジェスチャーでどうやるんですか(笑)。お題をもらった時にえっ?!と思って。

銀座…金の逆?銀…出来ないですよね、銀座は。いまだにずっと思っているんですけど(笑)。教えて欲しいな」


ジェスチャーゲームの勝野さんへのお題は
『銀座で迷子になったミミズ』
でした(笑)。

司会「それから、『俺たちは天使だ!』で足こぎボートに二人乗りされているシーン」

勝野「あれは赤坂プリンスの手前に池ありますよね、お堀みたいな。あそこですね。

あの上を高速で通るたびにいつも、ああ、沖ちゃんとここで…と思い出してね(笑)」

司会「大の男が二人で乗っているという画が面白いですよね。お二人とも大きいから狭い感じが」

勝野「そうですよね」

ここで参加者からの質問コーナーに移ります。

Q「太陽の初期のファンです。今日は貴重なお話をありがとうございました。新人の方がテスト出演をされると思うんですけども、(太陽の)第89話『地獄の再会』で青木刑事として出られていて、鮫島刑事の身代わりに…」

勝野「よく覚えてるなぁ(笑)」

Q「殉職を二回されている…(笑)」

勝野「はい(笑)」

Q「このお話があった時、すでに212話の『テキサス刑事登場』は折り込まれた時点でのご出演でしたか?」

勝野「違います。あの時は『太陽に出れるぞ!』って言われて、裕次郎さんに会えるみたいだ、わーって(笑)。

『台詞はほとんどないから』『ああいいですいいです!』って行ったら藤岡琢也さんの後輩刑事で青木という役で、見たら台詞があるんですよ。

賞状か何かもらってそれを鮫島刑事に自慢するようなシーンで、どういう風に言ったらいいんだろうって。

そこに電話がかかって来て代わりに出た時に撃たれるんですよね。その時褒められたのは『死に方が良かった』と(笑)。

なんでかって言うと、撃たれた瞬間にビール瓶が5~6本あったのを手で一気に割ったんですよ。

それで後ろにど~んと飛んだんですね。それをハイスピードで撮って、その死に方が良かったと。

あれは実はテストだったみたいですね。それは後で聞いたんですけど」

司会「その時はご存じなかったんですか」

勝野「知らない知らない。死体で運ばれる時に裕次郎さんが来ていて、ちらっと見えたんです。やった~って(笑)。

記念になる!良かったという感じで帰ったんですが、その後太陽が決まったんです」

Q「すごい貴重な話をありがとうございました」

勝野「いいえ、思い出しちゃいました(笑)」

Q「悪役をやってみたいとおっしゃっていたんですが、コミカルな役とか憧れはありますか」

勝野「はい、コミカルも好きですね。コミカルは大好きです、本当は」

Q「たとえば悪役とかコミカルな役をやりたいと思っていても、そういう役はあまり来ないものなのですか」

勝野「この前何かで悪役やりたいって言ったので(悪役が)来たような部分があるんです、実は」

Q「こういう方がやったら本当に怖いだろうなと思うんですね」

司会「こういう方…(笑)」

勝野「本当はね…そうなんですよ(笑)」

Q「ご子息の洋輔さんに昔はすごく鬼軍曹のように厳しかったとおっしゃっていたんですが。

先ほどお父様の話が出ましたが、ご両親も厳しい方だったんですか」

勝野「僕の父は軍人で、大東亜戦争に行ってボルネオで死の行進というのがあったんですが、南に降ろされて北までジャングルを600キロを行軍して、2万人ぐらいいたのかな、ほとんどの方が亡くなって、北に迎えが来るからと言われて行ったらオーストラリア軍が待っていたという悲惨な行進をやった父親だったんですよ。

将校だったんですけども、その時の話をずっと小さい頃から聞いていたんです。

そういうのがあったので尚更陸軍中尉の役とかやりましたけれども、なんで俺は親父と同じような役をやるんだろうと思ったりしました。

でも、悲惨さはちゃんと僕に伝わっています。その亡くなり方をずっと聞いていますから。

きっと父親は平和を願って俺にそう言ったのだと思ってますけど、今実際にウクライナでの無差別攻撃とかになっているじゃないですか。

これって何なんだろうと。内心僕の中ではちょっと許せないというか。(熱い!カッコいい!)

そういう父親でしたので、自分は平和のために少しでも役に立つことをやって行かなくちゃいけないなと思いはあります。

すみません、話が重くなって。あ、そうだ、厳しいっていえば、僕は厳しくされていないんですよ(笑)。逆なんですよ。

父親は自衛隊で北海道に行ったので、ほとんど離れていましたから。

祖母に育てられたので、ちっちゃい時に何度も帰って来て、そういう話を聞いたんです。

そういう自分の父親がそういうことをやって来たという誇り」


何となく沖さんの生い立ちと比較して考えてしまいます。

勝野「だから父親に教えられたのは何に対しても逃げるな、人に迷惑をかけるな、絶対自分から逃げるなみたいなことを言われたんで、それは戦争の体験からだと思うんですけど、そういうことを踏まえて洋輔には厳しくしたんです。

で、女の子には優しくしたんです(笑)。ホント、ぶん投げましたね、洋輔は(笑)。

いつも垣根に投げつけていたんで、洋輔が投げられた痕が出来たっていうくらい(怖!)。今だととんでもない父親だと言われますけど」

Q「そこまでなさっても洋輔さんが曲がられなかったというのは、愛情がおありになってのことだったと」

勝野「そうですね。愛情がありすぎるのかも知れないですね。抱きしめようとすると逃げるんですよ(笑)」

司会「い、今ですか?!」

勝野「今です(笑)」

Q「私、素敵な人や好きな人の前では緊張し過ぎて、テンパってしまい過ぎて、かえって失礼な態度をとってしまったりするんですね。

勝野さんにもそういうファンの方っていらっしゃると思うんですけど、そういう方に対してどう思われますか(笑)。分かってもらえるのかなって」

勝野「今、僕はあまり人を責めないっていうか、そういう風になってます。自分は反省しますけど、人は責めないです。

だから、何があっても大丈夫です。(カッコいい~の声)ガッツさんの言うオッケー牧場です(笑)」

Q「奥様のキャシー中島さんがテレビで勝野さんをご覧になってこういう方と結婚したいと思って猛アプローチをしたというエピソードが有名ですが、勝野さんは他の方からもアプローチされたと思うんですが、そういう方って実際何人ぐらいいらっしゃったんですか(笑)」

勝野「僕は不器用で。お付き合いした人はいましたけど、こういう世界に入ってからうまく行かなくなったりとか。

僕は女性に夢を持っていたんで、絶対離婚はしたくないと当時から思っていたんです。

というのは、実は父親も離婚しているし、祖父も離婚しているんですね。

色々悲しいことをずっと聞いて来たので、これだけは絶対嫌だっていうのはあったんです。

だから、女性を選ぶのに大変慎重になったんですけど、結局今の女房と結婚するのにそんなに慎重じゃなくて(笑)。

あれ?あの日酒さえ飲んでなかったらみたいな(笑)。そんなです。

なんか慎重にやった割にはコロッとハマっちゃったなって。人生ってそういうものかなと思いますね」

Q「お似合いのご夫婦だと思いますが」

勝野「ありがとうございます。自分が望んだ通りじゃないけど、自分が望むというより、そういう風に作って行かなくちゃいけないのかなと。

一人だけじゃなくて二人夫婦で互い太陽のテーマじゃないけど愛と信頼というのが、自分に来ているのかなと、そこを今ずっと目指していて。

お互いもう70代になったので、これからどうして行こうかねということを二人で話していて、日々いいこと、面白いことってあるじゃないですか。

ちょっとした楽しみ。ご飯何食べよう、今日はお肉あるから、そういう楽しいことを二人で作って行こうと思っています」

Q「どういう女性が好きですか」

勝野「どんな女性でも素敵な要因って持っていらっしゃると思うんです。

どんな女性でも人間である限りは、いや、人間でなくても(笑)。

だからそれをどうするかは自分次第でしょうね。結婚された方がいらしたら、お互い我を張ることがあるじゃないですか。

そこを相手のことを想えば相手も想うようになる。最近そう思うようになりました。

腹立ってしょうがないことありますよ、お互いに。

それでも、いや、そんなことはいけない、いけないと思いながら酒をガブっと飲む…そんなことないですけど(笑)。

とにかく、どんな女性というより、皆さんあると思うので、そこをどうやって自分が広げるかですよ。

マイナー思考はダメですよ。こればっかりはダメです。プラス思考じゃないと。

後ろは振り向かない方がいいです、過去のことは。前しか向いちゃダメです。

病気でも何でも振り向いてああだこうだ、あの時痛かったこうだったと思うと戻っちゃうんです。

人間の力ってすごいから。だから、前向いて太陽を見て生きて下さい。何言ってんだ?(笑)。ずっと太陽にほえてるんで(笑)」

司会「今思い出したんですが、『太陽にほえろ!』はずっと走るシーンが続いて大変だったそうですね。走るシーンはそれだけまとめて撮られたとか」

勝野「そうですね。AB班がありまして二本撮りで、二人の監督で」

柏原「4本だね」

勝野「はい、4本。そこにたらい回しにされるんです。だから走りだけを三日間ぐらいまとめて撮るんです。朝7時から夜まで走ってるんです。

それぞ毎日3日間ぐらい続くんですね。

覚えているんですが、歌舞伎町の壁にぶち当たりながら走ってましたね。まっすぐ走れなくて。

俺、陸上部に来たのかなって思いましたね(笑)。

ボンが来た時に中央公園でキャメラが車に乗って20キロ(で走る)って決めるんですね。

ずっと(時速)20キロで走らなくちゃいけない。だから犯人、ボン、俺の順でヨーイスタートで走るんです。

でも、なかなかカットがかからない時、前二人が足痙攣して撮影中止。

それぐらい走ったんです。僕はその前一年間走ってましたんで、日々鍛えられていたんです(笑)」

司会「ロッキーだと思うんですが、テレビで見せる時に早く見える走り方は本当に早く走るのとは違う走り方で、手を前に上げて走れって言われたと…」

勝野「誰に?(笑)」

司会「監督にそう言われたという話だったんですが、そういうのはなかったんですか」

勝野「余計なこと考えすぎですよ(笑)。まっすぐ走ればいいんですよ。

早く見えるかどうかじゃなくて、やっぱり走り方は人によって癖があるでしょ。その癖を生かせばいいんだよね。

前に出して走ったらおかしいじゃないですか」

司会「でも、ロッキーはそういう走り方をしてます」

柏原「ロッキーやってるよね」

勝野「僕の後輩たちも、どうやったら先代と違うようになるかと、それは考えたと思いますよ。それは大変だったと思いますね」

司会「テキサスが黄金期でしたから、後の人がそれを崩してはいけないと苦労されたと思うのですが。視聴率も結局破れなかったですから」

勝野「僕は何とも言えません(笑)」

司会「では、沖さんが亡くなられる少し前に食事をされた話を」

勝野「京都の太秦で撮影をやっていて、沖ちゃんとある食堂で偶然会って。

太秦の周りの店ってカツラや衣装をつけたままでも入れるんですね。

扮装したまま沖ちゃんも長髪で、マネージャーと二人でいたところに僕らが入って行って。

結局話したのは『元気?』『元気?』『また一緒にやりたいねえ』『やりたいねえ』って言って。

これから何の撮影だって言って、それぞれご飯食べてじゃあねえって別れたんです。

それから一か月ぐらいしてでしたかね、亡くなったのは。あれが最期だったんだと思って」

司会「お通夜かお葬式のどちらかに見えていて、囲みでマイクを向けられて勝野さんは一言「これが彼の人生ですから」とおっしゃったんですよ」

勝野「ああ、そうですかね」

司会「その時には突き放した感じなのかなあと思ったんですけど、今考えれば沖さんのことを思って言って下さったのだなと…」

勝野「僕は人っていうのは色んな道があって、それを選ぶのは自分だし、人にどうのこうの影響を受けるとかじゃなく、自分で選んでそれをやるわけですから、それを他人がとやかく言う筋合いも何もないし、それぞれの人生を尊重しなくちゃいけないと思うんで。人の選んだ死に対してとやかく言うつもりは全くない、彼が選んだ道だし。

それぞれ皆選んで行くわけじゃないですか。もちろん残念だけど、それは僕ら外野が何も言う筋合いはないと」

司会「良かったです、それがお聞き出来て」

あの時、どれだけの人が好き勝手なことを言ったことでしょう。勝野さんのこのお言葉、沖さんは感謝しているに違いありません。

この後、勝野さんのお父様が自衛隊で赴任された北海道の恵庭が質問者の方のお父様と同じ勤務地だった偶然のお話もありました。

Q「それで今日、勝野洋さんに目の前にして、手に汗を握ってしゃべれるかどうか心配したんですけど、しゃべれて良かったです(笑)」

Q「私は沖雅也さんの大ファンなんですが、ファンになった時もう沖さんは亡くなられていたんですね。

お芝居では色々観ているのですが、普段の沖さんというのは全然分からないので、勝野さんから見て沖雅也さんという方はどのような方だったかお聞きしたいと思います。

あまり接点がなかったというか、一緒にご飯を食べに行ったりはしなかったというお話しでしたが、それを踏まえてなんですが、人としての沖雅也さんは勝野さんから見てどのように映ったかをお聞きしたくて」

勝野「好感の持てる人でしたね。それで人の邪魔をしない。ということは思いやりがあるってことですよね。

男っぽかったですよね。時々冗談っぽく笑う時もあったし、それは皆とワイワイ話している時でしょうけど。

あと僕が印象的なのはいつも規則正しく動いているっていう感じがしましたね。決められたスケジュールでね。

だからダラダラとどこかへ飲みに行ったりしないようなね。

何時から何があるから、それまでに…そういう区切りのある人。

決して何事にも流されないような人だと思いますね、自分の決めたこと以外には。

そういうイメージがあります。でもガチガチではないんですよ」

Q「『俺たちは天使だ!』の時に沖さんと勝野さんとの二人きりのシーンでは、沖さんが他の役やっている時より楽しそうというか、役柄もあるとは思うのですが、勝野さんに対しての笑顔も茶目っ気があるというか、そういう部分もあるのかな、と。

私には全然分からないので、そういう茶目っ気があったり冗談を言ったりしたことはあったんですか」

勝野「それはありますね。僕もダジャレが好きなんでずっと言ってるんですけど、たぶんあの頃も言ってたような気がするんですよね。

さっきの話のボートを漕いでいる時も二人で乗ってるじゃないですか。たぶんあれもダジャレを言い合っていたような気がするんですよ(笑)。

僕はお酒入ると止まらないくらいダジャレ言うんです。うちでダジャレ言っても誰も聞いてないんですが(笑)。

そういう楽しい記憶はありますね」

Q「そのシーン、すごく楽しそうにしゃべっていらっしゃるんですけど、しゃべっている内容は全然聴こえないので、何をしゃべってるのかなあって思っていました」

勝野「たいがい『昼飯何を食おうかな』とか、そういうことかな。趣味の話とかね。そんな話をしていた気がします」

 

そして記念撮影。
勝野洋さん、1時間強にわたってお話しいただき、本当にありがとうございました。

いつまでもファンのイメージを壊さない爽やかさに年齢を重ねられた渋さも加わり、相変わらず魅力的な勝野さんに、会場からはタメイキが洩れていました。

 






注1:1秒間に通常より多くのコマ数で撮影することで、滑らかなスローモーション映像を作り出すこと。

注2:「勝野ファミリーが行く!極上の地中海クルーズ旅」(2019年)



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